ぼうぼううちよせてわれをうつ


種田山頭火
髙廣 幸悠

 

髙廣 幸悠

 

 

 今回は線の強さと文字の省略を主に作品に取り組んだ。作品は左右に大きな白の余白を取り中央部分三行書きでやゝ行間を狭めながら行頭部分に墨の集団を考え重心を高くしながら全体が一つの墨の固まりに見えるようにと思いつゝ作品を制作したが駄作に終った。


60×60cm

喜多川 七重

 

喜多川 七重

 

 

 山頭火、死の前年1939年の四国遍路時の句。太平洋に向かう57歳の彼に何が打ち寄せ打ったのか。唸る波風とは対照に不安や苦渋をも飲み込む「開かれた深い静けさ」をこの句に感じた。
 彼10歳時に母の自死以降、破産、一家離散、弟の自死、関東大震災で罹災、冤罪拘留などを経て出家、44歳で捨身懸命で行乞放浪の生活に入る。衝動的型破りな彼の性質から日常は破戒→懺悔→自戒→破戒を繰り返すが句作は毎日毎夜続けた。
 彼が顕現させたかったもの、それは「救いのかたち」ではなかったか。この開かれた沈黙の表現が失明したミケランジェロが死の前年に手探りで木端に彫ったキリスト像のそれと重なりその形を借りた。
 行乞放浪の表現として土台布に2007年制作「出立」を染め替え用いた。


絹布、植物染料、酸性染料、顔料/蠟防染、型染、ステンシル、抜染、縫い合わせ
120×88cm