「染」の三題噺
染色、書、俳句はいずれも日本人の生活に密着した、伝統的な民族芸術である。染色は、すでに正倉院御物に臈纈、纈、纐纈の三纈があり、その後辻が花や型友禅などを加えて、非常に発達した。書は中国に始まるが、平安時代に和風の「かな」がうまれ、小野道風、藤原佐理、藤原行成の三跡をうみ、本阿弥光悦などによって新境地が拓かれた。また俳句は、日本独特の短詩で、もとは俳諧連歌の発句(第一句)を指したが、明治期に正岡子規が新しい独立の詩形式として「俳句」の称を用いた。季節をあらわす季語や切れ字をよみこみ、日本的風月観をあらわすが、現代では欧米人にも好まれてグローバルな展開を示している。
本展はこれら三分野から三十六の作家ないし作品を選び、コラボレーションによって日本の美意識の特質を探ろうとするものである。
「閑かさや岩にしみ入蝉の声」(松尾芭蕉)。この句の「しみ入」は、英訳ではpenetrate(貫通する)またはsink into(沈む)、仏訳ではpénétrerまたはvriller(穴をあける)が用いられている。しかしいずれも「しみ入」の語感とは大きく隔たっている。わが国には「染」を用いた語が多くあり、例えば染みる、染まる、馴染む、染み染みなどだが、これらには共通する独特の感触がある。
日本では糸や布全体を染めることを「先染め」、無地の布に施す模様染めを「後染め」といって区別するが、この「後染め」が欧米で始まったのは、十九世紀にインドネシアのbatik(蝋染め)が導入されてからである。したがって「先染め」を意味するdyeingはあるが、「後染め」にあたる語はなく、それを示す言葉としてsurface designがつくられた(一九七七年)。しかしこれはおかしい。なぜなら染色は単なる表面デザインではなく、布の内部まで染みるのだから。
この「染みる」は書にも通じる。書は和紙と墨の特質を最大限に生かす線の芸術であり、紙の内側から染みでる墨色に大きな魅力がある。この染みは、紙の性質と厚薄、墨の濃淡や粒子の大小、乾燥の度合、さらに温度・湿度の変化によって千変万化する。「する」的、「なる」的という言語類型に即していえば、書も染色も「なる」的である。
最後に、本展に協力して下さった染色家、および榎倉香邨さんが主宰する香瓔会の書家各位に心から謝意を表する。