染めの本流25年 ―染・清流展の軌跡―


辻 喜代治 (フリーランスキュレーター)

 染めを中心とする展覧会「染・清流展」が今年2015年、記念の20周年を向かえる。この稿ではこれまでの軌跡を振り返りながら、広く染織界に与えてきた影響も考えていきたい。
 染・清流展は清流会が主催する展覧会である。その中心となる清流会は、1990年に呉服販売の会社を経営する、小澤淳二氏の染色への熱い想いから発足した。最初にその相談役となったのが、現在、染・清流館館長である木村重信氏である。さらに作家の選出には佐野猛夫、来野月乙、三浦景雄の三氏が関わり、京都を中心とする30人の作家を選んで清流会が発足した。そして翌1991年3月に、京都市美術館で第一回の染・清流展が開催された。その時のカタログに小澤氏は、この事業の決意を次のように書いている。
 「私はこの企画を、一企業の単なる事業としてではなく、長期にわたる社会的な文化事業と位置づけており、京都染色界の更なる発展の礎石にしたいと考えています。“染色のまち・京都”を愛し、染色のビジネスに携わる者の責務として、敢えてこの道を選びました。皆様の御支援と御忠告を得て、うるわしい共同のもとに、この事業を成功させたいと念じるばかりです。」
 この1991年という年は、社会的にバブル経済崩壊の年といわれ、多くの企業が本業を縮小したり、社会に根付き始めた文化事業から撤退していった時期である。京都の染織界に目を向けると1987年、西陣を中心に京都府、京都市のもと大規模な国際テキスタイルフェア(ITF)が開催され、その中で国際的な現代染織のコンペティションも開催された。このコンペは引き続き1989年に第2回展が開催され、その後、国際テキスタイルコンペティション京都としてほぼ隔年ごとに開催されるようになった。(~1999年第6回まで)
 一方、一企業の個人が立ち上げた清流会は、染色作家を支援し染色芸術を、社会の中に広く位置づけていくために組織された会である。主旨に賛同する作家たちが、会が主催する清流展に出品することが中心的な活動となっている。作家各々は、会派に属したり個人で活動するなどさまざまな立場にあるが、それを超えて集う緩やかな組織である。当初、作家が中心となり出品作家を選考していたが、回が進むと、選考には広く客観的な目も必要だということになり、美術館学芸員の福永重樹、美術ジャーナリストの藤慶之の両氏が加わり、本格的な運営体制となった。
 <展覧会の変遷>
 展覧会は1991年の第1回展から毎年、京都市美術館を舞台に開催されてきた(1991年~2005年)。さらに1994年の第4回清流展は、京都の他、初めて奈良そごう美術館でも開催された。またこの年は平安建都1200年の記念の年であり、同時に本展と同じ京都市美術館で「染ART展」が開催された。「染ART展」は染色作品の公募展で200人近い応募があり、後にその入選者から清流展の新しい作家が育っていくことになる。そしてもう一つの企画として、麻田脩二氏の働きかけで、アメリカの染色造形の“サーフェス デザイン展”も開催され、アメリカ作家10人の染色作品が日本で初めて紹介された。さらに同年大阪では、清流会の協力によって国立国際美術館で15人の作家による「現代の染め」展が開催されるなど、この1994年は非常に盛り上がりを見せた年となった。

 1996年の第6回展では、作家選考方法が大きく変わった。展覧会のマンネリ化を防ぐために出品者を固定せず、推薦者が作家を推薦し、さらにそこから選考者が最終作家を選考するようになった。その結果、新人の作家も多く登場することになり、これまでで最多の39名の作家による展覧会となった。
 1997年の第7回展からは、京都展の他に東京展も始まる。当時館長であった福永氏の企画により、東京目黒区美術館でも染・清流展が開催されるようになり、2002年の第12回展まで計5回(2001年を除く)、東京で開催された。この頃から染めパネル中心の作品の中に、他の表現形式の染色作品や、ファイバーの作家である草間喆雄氏や藤本哲夫氏などの作品も加わるようになり、展覧会の表現に広がりを見せていく。
 10周年の2000年の展覧会では、従来からのベテラン作家に新人作家も加わり、さらに新しくファイバー系の作家も含めて50名を超える大規模な展覧会が、京都と東京で開催された。そして2005年の第15回展では、藤氏の提案で特別のテーマ(課題)が設定された。拡大する清流展の中で、染めの原点である“着る物”との関係を見直し、通常の作品の他に「キモノ」の作品制作を条件とした。
 2006年には京都の中心、室町通りの京都芸術センターの北隣に待望の美術館「染・清流館」が完成する。染め専門の美術館開設は、小澤氏が清流会立ち上げの時からすでに構想されていたものである。その館長には相談役の木村重信氏が就いた。第1回の展覧会から館長名で活動されて来たが、美術館の完成で名実ともに館長となった。この美術館開設に向けて小澤氏は、第1回の清流展から出品作品を買い上げ、染作品のコレクションを作ってきた。それは同時に作家たち…にとって大きな支援となっている。現在では京都を拠点に活躍する作家100人の、約500点が所蔵されている。
 そして2007年の第16回展からは、会場を京都市美術館から染・清流館に移し、会期を二期に分けて展示されるようになった。それに加えてこの年以降、染・清流展は隔年で開催され、出品作家も40人を超える染めの展覧会となり、現在に至っている。
 染・清流展はこの25年、日本の工芸の中で染めの歴史を着実に積み上げてきた。かつて“染め即ち着物”の時代に、そこから独立し個人の創造性を勝ち取ってきた先達の作家から現代の若手作家まで、その表現のなかに時代を読みとることができる。それはまさに日本の染めの本流であり、次に続く作家たちがこれからも、着実につながって行くことを期待している。