伝統音楽の魅力を探る・レクチャーコンサート Vol.10

狂言歌謡はおもしろい

室町時代歌謡がに
〜狂言のもうひとつの魅力〜


<ご挨拶>

 ご来場いただきありがとうございます。
 日本の伝統音楽を多くの人々に知っていただき理解を深めていただこうと、平成一八年に始めました「日本の伝統音楽を探る レクチャーコンサート」もいよいよ第十回を迎えました。このシリーズを始めます前年に行いましたシンポジウム「日本伝統音楽を語る」から数えますとちょうど十年となりました。
 この間、地歌、謡曲、琵琶楽、歌舞伎の下座音楽、文楽・義太夫節、常磐津節、筝曲、雅楽、尺八楽、そして本日の狂言歌謡と日本の伝統音楽の各分野を様々な切り口でご紹介でき、ご高評をいただいてまいることができました。
 これも、シンポジウムから我々を支え続けていただきました共催の真如苑様、お忙しい中をご協力いただきました構成の先生方、ご出演の皆様方、そしてご参加いただい観客の皆様のお蔭と深く感謝の意を表します。
 当会にもご出演いただき、私も親しくしておりました人間国宝の常磐津一巴太夫師が本年八月に亡くなられました。念願の素浄瑠璃の会を五月にこの文化芸術会館で開催して、これから先の素浄瑠璃の会の予定も立てて張切っていられた矢先のことでした。
 当然のことながら伝統音楽は人により伝承されます。この十年の記録は立命館大学アート・リサーチセンターと当会理事の赤間亮さんのご努力でしっかりと記録し残しています。この貴重な記録を、当会の活動の柱の一つ「若い人たちに伝統文化を伝える」ために何か活用ができないかと考えております。そして、そのためにもこれからの活動をより強めていければと願っております。
 どうか、皆様方のご協力、ご支援をよろしくお願いいたします。
 さて、本日は第十回を迎えるにあたって、私が構成を担当させていただき、代表的な伝統芸能である狂言を歌謡の面からみてみることといたしました。そして家の芸風をお豆腐狂言と謳って大活躍されている茂山千五郎家の方々がオールスターといってもよい豪華な顔合わせでご参加いただけることなりました。
 その茂山千五郎家のパワーで、室町時代に生まれた狂言が伝える庶民の力強い生き方を感じとられる公演になるのではと思います。
 どうか、日本の伝統音楽の洗練された伝統とそのバイタリティが持つ楽しさを、ゆっくりとお楽しみいただければと存じます。

京都和文華の会   代表 権藤芳一

プログラム

お話(構成と内容)       権藤 芳一
狂言「呼声」   太郎冠者   茂山 千五郎
            主   茂山 七五三
         次郎冠者   茂山 千三郎
「トークと実演」        権藤 芳一
                茂山 あきら
       — 休 憩 —
「室町歌謡組曲」    謡   茂山 あきら
                茂山 正邦
                茂山  茂
                茂山 宗彦
                茂山 逸平
                茂山 童司
            囃子  笛左鴻 泰弘
            小鼓  吉阪 一郎
            大鼓  河村  大
            太鼓  前川 光範

           (司会  南端 玲子)

狂言「呼声」 

茂山 あきら

 「うたい」というと能の謡曲を想像なされることが多いようです。日本の歌の基礎となった、その音楽は中世以前の物語を、節を付けて語る事から出来たものかと思われます。

 しかし狂言の「うたい」は中世の庶民が、日常の楽しみや悲しさを平易に歌っていたものがほとんどです。これを中世の代表的な時代、そして狂言が起こった時代、室町期に歌われた歌謡を称して「室町歌謡」と言われています。この「呼声」もそうした時代に出来た曲です。長期欠勤をした太郎冠者を叱責に、主人ともう一人の召使の次郎冠者が太郎冠者の家へやってきます。太郎冠者は顔を合わすと拙かろうと居留守を使います。その、太郎冠者を呼び出すときに、当時に流行っていた「平家節」「小唄節」「踊り節」を歌って呼び出すという他愛もない内容です。他の演劇ではバカバカしくてできないような内容も、狂言の手にかかると見事にお芝居として通用するのです。

室町歌謡組曲 〜生きた日本語をどうぞ〜

茂山 千之丞

 私が主たる生業にしている狂言と言う芸能は、室町時代の頃日本に生まれた話し言葉のお芝居です。同じ頃誕生した芸能「能」と根本的に違うところの一つは、能が音楽と歌の踊りによるミュージカルであるのに対して、狂言はセリフ劇であることです。しかもそのセリフが、古い言葉ではありますが、能の用語にもなっている書いたり読んだりするためのいわゆる「文語」ではなく、多分中世末期の人々が日常しゃべっていただろう「話し言葉」なのです。言葉は本来書いたり読んだりするものではありません。口でしゃべり耳で聞くものです。そうした意味から言うと、狂言は色々な芸能の中で最も忠実な言葉の使い手だと言うことが出来るかもしれません。その本来の役目に忠実な生きた日本語を狂言は「口移し」と言う一番素朴で、一番間違いのない方法で、現代まで伝承してきました。
 ところで狂言の中には、話し言葉の他に、中世当時の流行り歌が随所に出てきます。今日のテレビドラマの中で、たとえばカラオケの場面で現代歌謡が歌われるのと同じような具合にです。私はその流行り歌に、[室町歌謡]と名を付けているのですが、中世の町衆たちがお祭や宴会などで一杯機嫌で歌っていただろうその室町歌謡が、狂言の中に、恐らく当時のありのままの姿で、これ又「口移し」によって生き続けてきているのです。ですからその歌謡は、話し言葉の役割をしっかりと保持しながら、つまり現代に生きる言葉として歌われているのです。
 二十年ほど以前から、私はこの室町歌謡を狂言の中や、その当時の歌謡を採集した「閑吟集」などから抜き出して、能の囃子や、時としてコンガやパーカッションの演奏と一緒に、組曲の形で歌ってきました。
(中略)日本語が狂言歌謡の手練手管でどんな風に踊り出しますことやら…焼酎のお湯割りに梅干しなど入れたのをお召し上がりながら、出来るだけ無責任に聞いていただけたら、まことにかたじけのうござりまする。

CD[ハイパー「室町歌謡組曲BASARASARA」(平成十年録音)の解説から抜粋]

<解説>  狂言歌謡について

権藤芳一 (演劇評論家)

 「能楽」という言葉があります。能と狂言とを合わせた呼び名です。今ではごく普通に使われていますが、実はこの言葉は明治になって出来た用語です。それまでは、つまり江戸時代までは、この二つをひっくるめて「能」と言っていました。もちろん 能が主で 狂言が従です。「狂言」は歌舞伎の場合にも、「狂言方」とか「狂言作者」などと使っていましたので、能に属する狂言は「能狂言」と言って区別していた場合もあります。
 もともと古くは、今日の能と狂言とは同じ芸能で、猿楽とよばれていました。その中で歌や舞に重点をおいて、古典的な題材や人物の登場する悲劇的な内容を追求していったのが「能」として発展したのです。
 それに対して 同時代の つまり南北朝内乱から中世時代の庶民的な人物や生活を題材に、セリフやシグサを中心にした劇を作ろうとしたのが「狂言」です。この二つは、それぞれその特色を強調するようになり、だんだん別の芸能のようになってきました。
 しかし長い間この二つの芸能が同じ能舞台で交互に上演するといった公演方式をとってきました。(近年では、別々に公演するといった方法もとられていますが)能を時代物とすれば、狂言は世話物ともいえますが、狂言は多分に能の影響をうけています。全く能様式を模倣した狂言もありますし、狂言の中に歌や舞を取り入れた演目も沢山あります。ただその歌舞が、能の場合は古典、能が創作されて時代より、一時代二時代古いものを用いるのに対して、狂言の場合は、同時代の、つまり室町時代に世間庶民の世界で流行っていたものを取り入れています。俗に、「室町歌謡」といわれるものです。今回は、滑稽な寸劇として楽しんでいただいている狂言を、一寸ちがった、室町時代の姿を色濃く残した「狂言歌謡」の魅力と楽しさを御紹介したいと思います。
 ところが一番新しく刊行された『能楽大事典』(二〇一二年・平成二十四年 筑摩書房)には「狂言歌謡」の項目はありません。と言うことは、〝狂言歌謡〟という言葉は、ごく一般に使われ、その意味もよく知られているにもかかわらず、用語としてはまだ市民権を得ていないのです。(「狂言謡」「狂言小歌」には特殊な説明が加えられています)『広辞苑』にも採用されていません。
 その一方で、故北川忠彦君の遺著に『狂言歌謡考』(一九九八年・昭和六十一年和泉書院刊)があります。「狂言歌謡」に関心を持ちその方面の研究成果をまとめて「あとがき」まで書いて刊行の準備をすすめていたが、急逝し、没後遺族によって刊行されたもので、「狂言歌謡」についての優れた論考集です。彼は狂言の中で歌われる歌舞だけでなく、当時の流行歌をひろくあつめていました。普通、能の小歌も独立して謡われることのあったことも実証しています。それともう一つ 昭和五十七年(一九八二)に『新潮日本古典集成』の一巻として『閑吟集・宗安小歌集』を刊行しています。室町時代に流行した小歌を集成したもので、この二冊が翻刻されることによって、当時の小歌のほとんどが集成され、広く世に出ました。出目数は約三百六十に及びます。本文の集成もさることながら、巻末に附せられた解説もよく書かれています。
 中世が小歌の時代といわれるように、いろいろな題材から、小歌が作られ謡われました。難しい漢詩の一節や、雅びな宮廷唱謡からはじまって、いわゆる能(近江猿楽、大和猿楽)の一節も、能の曲とは独立して歌われてきました。宴会の歌や踊りの歌も、集められています。一六〇三年(慶長八)刊行の『日葡辞書』にも〝コウタ、短かい通俗的な歌謡〟と出ています。つづいて、三味線音楽をベースにした近世歌謡の流行になるわけです。中世歌謡(室町歌謡)にはまだ三味線は入っていません。
 ともあれ 室町歌謡は、多彩な内容をもち、ずいぶんエロっぽいものもあります。その場、その場に適した歌詞がえらばれたものでしょう。もちろん読んでも結構面白いのですが、やはり歌われたものをきくのが本当です。今回は茂山千五郎家の面々に協力をえて、ぐっと盛り上がることと思います。
 「歌謡」が常に庶民と共にあったということです。最後に、現代にも通じますよというお遊びを試みました。これは故千之丞君の発案でした。ご期待下さい。

権藤芳一(演劇評論家)

<主著>
「近代歌舞伎劇評歌論」「世阿弥を歩く」「能舞台の主人公たち(旧著改題)」「能楽手帖」「文楽の世界」「上方歌舞伎の風景」「戦後関西能楽誌」「平成関西能楽情報」等
昭和五年京都市生まれ、同志社大学文学部卒業、在学中より武智鉄二氏に師事し、雑誌「演劇評論」の編集や同氏が演出した前衛・実験劇の演出助手等を務めたのち、昭和三十三年より京都観世会館で事務局長として三十年間勤務。
平成元年より大阪学院大学国際学部で古典芸能を論ずる(平成十三年定年退職)。現在フリー。演劇評論等に幅広く活躍している。
文化庁、京都府、京都市の各文化財保護審査委員を務める。
日本演劇学会、芸能史研究会、楽劇学会、歌舞伎学会、能楽学会に所属。

      • <歌詞>狂言歌謡について

      • 室町歌謡組曲
        遊びをせむとや
        茂山千之丞 構成・演出

      • 【今様】
        遊びをせむとや生まれけむ
        戯れせんとや生まれけむ
        遊ぶ子供の声聞けば
        我が身さえこそゆるがるれ
        遊びをせむとや生まれけむ
        戯れせんとや生まれけむ
        遊ぶ子供の声聞けば
        我が身さえこそゆるがるれ
      • 【幼けしたる物】
        幼けしたる物あり
        張子の顔や 塗り稚児
        しゅくしゃ結びに 笹結び
        山科結びに 風車
        瓢箪に宿る 山雀
        鼓にふける 友鳥
        虎斑の狗児
        起き上がり小法師 振り鼓
        手鞠や 踊る毬 小弓
      • 【七つになる子】
      • 七つになる子が
        幼けなこと言うた
        殿が欲しと歌うた
        そもさても我御料は
        誰人の子なれば
        定家葛か 離れ難やの
        離れ難やの
        川舟に乗せて 連れておりゃろにゃ
        神崎へ 神崎へ
        そもさても我御料は
        踊り人が見たいか
        踊り人が見たくば
        北嵯峨へおりゃれの
        北嵯峨の踊りは
        葛帽子をしゃんと着て
        踊る振りが面白い
        吉野初瀬の花よりも 紅葉よりも
        恋しき人は見たいものじゃ
        処々お参りゃって 疾う下向めされ
        咎をばいちゃが負いまんしょ
      • 【次第】
        幼な顔して 鉄漿付けて
        幼な顔して 鉄漿付けて
        笑うたがなお愛し
        幼な顔して 鉄漿付けて
        笑うたがなお愛し
      • 【大原木】
        木買わせ 木買わせ
        大原木召せや 黒木召せ
        小原 静原 芹生の里
        朧の清水に 影は八瀬の里人
        知られぬ梅の匂うや
        この藪垣の春風
        松ヶ崎 散る花までも
        雪は残りて 春寒し
        大原木召され候へ
        黒木召され候へ
      • 八瀬や小原の賤しき者は 八瀬や小原の賤しき者は
        沈や麝香は持たねども
        匂うて来るは薫物
        大原木買わい 買わい
        黒木召されよ
        チョーリョーフーリョ
        ヒャーラリチョウロー
        ララツーツロウルリヒョウロ
        麻の中なる一蓬 麻の中なる一蓬
        縒れて掛かるも縁で候
        親じゃ子じゃとて
        のぉさのみはものな言わせそ
        大原木買わい 買わい
        黒木召されよ
        チョーリョーフーリョ
        ヒャーラリチョウロー
        ララツーツロウルリヒョウロ
      • 【京童】
        とかく子供達ゃ 幼けが良いものじゃ
        あいやのぼろぼろ
        肩に乗せて 御所へ参ろ 御所へ参ろ
        ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
        目だに覚むれば
        チョウチ チョウチ アババ
        カイグリ カイギリ 塩の目
        エーィ通るまいぞ針売り
        隠れんぼう
        正月がおりゃらば
        羽根突こう 毬蹴ろう
        丁か半かも良いものじゃ
        五月がおりゃらば
        竹馬にうち乗りて
        印地んしょう 印地んしょう
        七月がおりゃらば
        木曽踊り始みょよ
        振りも良う踊ろうよ
        とかく踊らにゃ 気が浮かぬ

      • 【こちゃ知らぬ・蛇が怖い】
        ハァ新茶の茶壺よの
        チョーサヤ ヨーサ
        新茶の茶壺よの
        ヨーサヤ チョーサヤ
        一夜馴れ馴れ この子が出来た
        入れての後は こちゃ知らぬ
        こちゃ知らぬ
      • ハァえくぼの中へよの
        チョーサヤ ヨーサ
        えくぼの中へよの
        ヨーサ チョーサヤ
        えくぼの中へ身を投げようと
        思えど中の蛇が怖い
        蛇が怖い 蛇が怖い
      • 【唐韻】
        アノナガサキノ
        ヒゴロコイスリャ キミケンクルケンクル
        バイタカリンナンギョウ
        アラヨシノヤ オトズレコイスリャ
        サイモウスガ スンパカスルトハ
        ウンネンノズデレンズ ガダラ
        シクシクシテ オイテノアンパン ユクハルモ
        アンノニノタラレ フレレ
        オニシオニシ サイワイコサイワイコ
        フダライキョウフダライキョウノ サンチャコウチャサ
        センソセンソセンソ ケンポケンポケンポ
        マッツァカンキンツァ
        ツサツサツユ
        コンケンポンチョンノンチョンチンコンケンポン
        ヤノフク
        アンラズイズイ ショテトネショカ
        ショイタラダイテネショカ
        アンナイロニ ケンナイロ
        ケンプシャニカンプク イキズイヤ
        チムチムチム スズメノカンノン
        ヤッキミチュンサイロ
        レーレーレーズノゴンギャン レーズノゴンギャン
        イップクイッチョンノンヤ
        チンナンチンナンステレケ パーパー
        フーライライフー
      • 【俗塵卑小】
        遊びをせむとや生まれけむ
        戯れせんとや生まれけむ
        逃げろ追い込め差せ差せまくれと
        競馬競輪 ガチャガチャポンチィ
        ジャラジャラ麻雀
        パーチンコ
        パチパチ待った黙考 囲碁将棋
        勝ったり負けたり 負けたり 負けたり
        負けたり負けたり負けたり負けたり
        たまに勝ったり
        丁半白黒 年中無休の勝負三昧
        道を楽しみ 道を極める 道楽極道
        戯れに 勝負はすまじ
      • 遊びをせむとや生まれけむ
        戯れせんとや生まれけむ
        行くへ知れずのボールを追って
        ゴルフ・テニスに草野球
        イッキイッキと飲んで歌って 居酒屋カラオケ
        家に戻れば夜も白々 テレビゲームに長電話
        勝ったり負けたり 負けたり 負けたり
        負けたり負けたり負けたり負けたり
        たまに勝ったり
        出会い離別 年中無休の遊技三昧
        道を楽しみ 道を極める 道楽極道
        戯れに 恋はすまじ 

      • 【夢の・上を向いて歩こう】
        ただ人は 情けあれ
        夢の 夢の 夢の 夢の 夢の
        昨日は今日の古
        今日は明日の昔よ
        上を向いて歩こう
        涙がこぼれないように
        思い出す 春の日
        一人ぼっちの夜
        幸せは雲の上に
        幸せは空の上に
        上を向いて歩こう
        涙がこぼれないように
        泣きながら歩く
        一人ぼっちの夜
        一人ぼっちの夜
        一人ぼっちの夜
      • 【猿唄】
        一の幣立て 二の幣立て
        三に黒駒信濃を通れ 船頭殿こそ勇健なれ
        泊まり泊まりを眺めつつ
        彼の又獅子と申すには
        百斉国にて普賢文珠の召されたる
        猿と獅子とはご使者のもの
        なお千秋や万歳と
        俵を重ねて面々に
        俵を重ねて面々に
        俵を重ねて面々に
        楽しゅうなるこそ 目出たけれ。

出演者

茂山 千五郎 (しげやま せんごろう)

 昭和二十年 十二世 茂山千五郎の長男として生まれる。四歳の時 狂言「以呂波」のシテにて初舞台、二十歳で「釣狐」を披らく。
 五十一年、自分達の勉強の場であると同時に、狂言界の活性化をめざし、新しい世代の観客の掘り起こしをねらった「花形狂言会」を発足。弟 眞吾(現七五三)、従兄弟 あきら、弟 千三郎(五十五年入会)と共に主宰する。古典狂言のほか、「木竜うるし」(木下順二作)、SF狂言「狐と宇宙人」(小松左京作)、「死神」(帆足正規作)、千年振りの復曲「袈裟求」(織田正吉作)をはじめとする数々の新作狂言に取り組む。東京国立能楽堂での復曲「麻生」では、父・千作(当時 千五郎)と共演、舞台上で髪を結う珍しい演技をみせた。平成六年 十三世 茂山 千五郎 襲名。現在は七五三・あきらと共に、桂米朝一門を巻込み『お米とお豆腐』を立ち上げ、新たな試みに挑戦中。
 ダイナミックでユーモラス、且つ繊細という深みのある芸には定評があり、茂山家の主軸として年間六百回にものぼる舞台をふんでいる。また、平成十七年の還暦記念公演では、秘曲『釣狐』を全国で上演し喝采を得た。昭和六十年度『京都市芸術新人賞』受賞、重要無形文化財総合指定保持者に認定。『京都府文化賞功労賞』受賞(平成十六年)、『京都市文化功労者』受賞(平成二十年)、『文化庁芸術祭賞大賞』受賞(平成二十年)


茂山 七五三 (しげやま しめ)

 昭和二十二年 十二世 茂山千五郎の次男として生まれる。四歳の時 狂言「業平餅」の子方にて初舞台以来、「三番三」 「釣狐」 「花子」「狸腹鼓」 などを次々と披く。昭和五十一年に兄 正義(現 千五郎)、従兄弟 あきらと共に花形狂言会を発足。自分達の活動の拠点として古典は勿論のこと秘曲の復曲、新作狂言の上演等を積極的におこなう。また、名張子供狂言の会において指導するなど、指導者としても活躍している。日本の伝統芸能である狂言を海外に紹介する活動にも積極的に参加。海外公演は近年ほぼ毎年参加しており、その活動にはめざましいものがある。平成十二年一月にはパリの俳優術研究所(ARTA)に招かれ、ワークショップを行う。チェコ共和国において「七五三(なごみ)の会」発足。二十年に日仏交流150周年記念にてフランス銀行黄金の間において狂言公演、同年に世界遺産フランス「コンク」にて狂言会開催。現在、『お米とお豆腐』を立ち上げ、新たな試みに挑戦中。クセのない素直で堅実な演技に好感を持つ人は多い。「京都府文化奨励賞」(平成五年)。「京都府文化賞功労賞」(平成十九年年)。「名張市市政功労者特別表彰者」(平成二十三年)。「京都市文化功労者」受賞(平成二十三年)。


茂山 あきら  (しげやまあきら)

昭和二十七年茂山千之丞の長男として生まれる。三歳の時 狂言「以呂波」のシテにて初舞台以来、「三番三」「釣狐」「花子」を披く。五十一年、花形狂言会を発足。従兄弟の正義(現 千五郎)、眞吾(現 七五三)と主宰する。古典狂言のみならず、小松左京作SF狂言「狐と宇宙人」他、『木竜うるし』(五十三年)『死神』(五十六年)等の新作狂言や千年振りの復曲「袈裟求」など演じ、狂言の大衆化に力を注いできた。多才な演劇人である父・千之丞の影響を受けテレビ、ラジオ、新劇、実験劇に参加。またアメリカ人ジョナ・サルズと共に「NOHO(能法)劇団」を主宰。ベケット・イエイツの不条理演劇、英語狂言など海外公演を行う。現在は千五郎・七五三と共に、桂米朝一門を巻込み『お米とお豆腐』を立ち上げ、新たな試みに挑戦中。その他演出家としても関西歌劇団・関西二期会等のオペラ、新劇、能法劇団、新作狂言、パフォーマンス、ファッションショーの企画・構成・演出など手掛け「舞台マルチ人間」を目指している。著書に「京都の罠」(KKベストセラーズ)がある。京都市芸術新人賞受賞(平成四年)。京都府文化賞功労賞受賞(平成二十六年)。


茂山 千三郎  (しげやま せんざぶろう)

昭和三十九年 十二世 茂山千五郎の三男として生まれる三歳の時に「業平餅」の童役で初舞台。五十五年より「花形狂言会」に加わり活動する。十二年には正邦、茂、宗彦、逸平、童司と共に、「心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会=通称 TOPPA!」を主催(平成十七年解散)。TOPPAを通し、古典狂言の魅力を存分に味わっていただき、ひとりでも多くファンになっていただけるよう日々努力している。「だんご聟」「都渡り」などの新作狂言の脚本も手掛け、現代の風刺をうまく取り入れた作品は、室町時代の庶民の中で伸び伸びと生き、創られてきた時代を偲ばせる。。他ジャンルとの交流を試み演出家としても活躍。演出デビュー作ミュージカルオペラ『ONATSU』では現代劇・オペラ・ミュージカル・狂言をユニットさせ好評を得る。十五年には、京都市交響楽団とのコラボ「鐘ノ音」を、十六年京都音楽祭オープニングにて「金平糖」を手がける。また立川志の輔師匠と共鳴し、毎月満月の夜に「落語と狂言の会」を1年を通して公演。その明快な語り口、柔軟な表現力には定評があり、多くのファンをもつ。FM京都αステーションにて、パーソナリティーをつとめ、〝狂言〟の魅力を伝える。「京都府文化奨励賞」(平成十一年)。「京都市芸術新人賞」(平成十五年)。


茂山 正邦  ( しげやま まさくに)

昭和四十七年十三世千五郎の長男として生まれる。四歳の時に『以呂波』のシテにて初舞台。その後『釣狐』『花子』『狸腹鼓』を披く。平成五年父たちが主催する花形狂言会に入会。また東京に於いて『狂言小劇場』を年4回の公演を約10年続けたり、九年ライブハウスで狂言会を催すという、若者らしい発想で狂言を一度も見たことのない観客の動員に成功してきた。その後、「心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会=TOPPA!」また若手能楽師による能楽グループ『心味の会』を主催し、狂言のみならず能のファン開拓にも注ぐ。最近では、十八年より「HANAGATA」を宗彦・茂・逸平・童司と共に再開。企画製作そして演出までを自分たちで行う「HANAGATA」を通し、狂言の魅力を存分に味わっていただくことを目的として活動している。大阪市 咲くやこの花賞受賞(平成十年)。文化庁芸術祭賞新人賞受賞(平成十七年)。京都府文化賞奨励賞受賞(平成二十年)。


茂山  茂  ( しげやま しげる)

昭和五十年十三世千五郎の次男として生まれる。四歳の時に 小舞『柳の下』にて初舞台。その後『千歳』『三番三』『釣狐』を披く。平成六年から従兄弟の茂山宗彦・逸平らと共に「花形狂言少年隊」を結成。同年の旗揚げ公演以来、毎年「花形狂言少年隊」としての自主公演をおこなった。同年代の狂言師が舞台で活躍していることで、若い観客が狂言を身近に感じ、各地の狂言会にも若者の観客が目に見えて多くなったという点において、「花形狂言少年隊」の功績は大きい。また、東京において「狂言小劇場」を兄の正邦、従兄弟の茂山宗彦・逸平らと七年から十六年まで続けた。二年六月から千三郎、正邦、宗彦、逸平、童司と共に「心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会=通称TOPPA !」を主催。十八年より「HANAGATA」を正邦、宗彦、逸平、童司と共に再開。企画製作、出演までを自分たちでおこなう「HANAGATA」を通し、狂言の魅力を存分に味わっていただき、芸を磨くことを目的としている。体格には恵まれないが、逆にそれを活かした女性役に定評が有る。京都府文化賞奨励賞受賞(平成二十四年)。


茂山 宗彦 ( しげやま もとひこ)

昭和五十年茂山七五三の長男として生まれる。四歳の時『以呂波』のシテにて初舞台。その後『千歳』『三番三』を披く。平成六年に従兄弟の茂山 茂らと「花形狂言少年隊」を結成。若い世代に照準をあわせた「花形狂言少年隊」の活動は、若者に熱烈な支持を得てNHKの番組「トップランナー」にも取り上げられた。七年、東京にて狂言小劇場の公演を正邦・茂・逸平と開始。フランス・イタリア等の海外公演にも参加。十二年六月より十七年まで千三郎らと「通称 TOPPA !」を主催。平成十八年より「HANAGATA」を再開し、狂言の魅力を存分に味わっていただき、自らの芸を磨くことを目的として活動している。また弟逸平と共に、新作二人芝居 〈宗彦、逸平のThat's Entertainment「おそれいります、シェイクスピアさん」〉。その他、狂言以外の活動として幻想歌舞伎「土御門大路」、NHKテレビドラマ「京都発ぼくの旅立ち」「ふたりっ子」「終のすみか」「ちりとてちん」等に出演。ミュージカル「アンネの日記」「蜘蛛巣城」などに出演し多方面で活躍。今後の活動から目が離せない。京都府文化賞奨励賞受賞(平成二十六年)。


茂山 逸平  ( しげやま いっぺい)

昭和五十四年茂山七五三の次男として生まれる。四歳の時『業平餅』の童にて初舞台。その後『千歳』『三番三』『釣狐』を披く。平成六年に、宗彦、茂と「花形狂言少年隊」を結成し活躍する。また十二年より心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会=「TOPPA !」を千三郎、正邦、宗彦、茂、童司と共に主催し、活動。七年、東京にて狂言小劇場の公演を開始。スペイン等の海外公演にも参加。その一方で、東映映画「将軍家光の乱心・激突」の竹千代役で出演。NHK朝の連続テレビ小説「京ふたり」「オードリー」他、舞台・CMと数々出演。また兄宗彦と共に、新作二人芝居 〈宗彦、逸平のThat's Entertainment「おそれいります、シェイクスピアさん」〉に挑戦するなど幅広く活躍する。十八年より「HANAGATA」を正邦、宗彦、茂、童司と共に再開。狂言の魅力を存分に味わっていただき、自らの芸を磨くことを目的として活動している。十八年秋から1年間フランスに留学した。京都市芸術新人賞受賞(平成二十三年)。


茂山 童司 ( しげやま どうじ)

昭和五十八年 茂山あきらの長男として生まれる。三歳の時、父あきらの主宰する「NOHO(能法)劇団」の『魔法使いの弟子』にて初舞台。また、狂言『以呂波』にて初シテを勤める。平成七年に、茂、宗彦、逸平が結成した「花形狂言少年隊」に入隊、共に活動する。最年少ながら色々な役に積極的に取り組んだ。また平成十二年より「心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会=TOPPA !」を千三郎、正邦、宗彦、茂、逸平と共に主催し、活動。十八年より「HANAGATA」を正邦、宗彦、茂、逸平と共に再開。他に時代劇「かわら版 忠臣蔵」で大石主税役で出演、「Sense Dise:one」に企画・制作・演出・するほか、詩人choriとのユニット「chori/童司」など意欲的な活動をみせる。アメリカンスクールに通っていたこともあり、英語が堪能なバイリンガル狂言師である。十五年から作・演出を手がける新作〝純狂言〟集「マリコウジ」、コント公演「ヒャクマンベン」を始動。


左鴻 泰弘  ( さこう やすひろ)

森田流笛方
昭和四十一年 兵庫県生まれ
杉市和に師事
「獅子」「乱」「翁」「道成寺」を披く
新作能や海外公演にも取り組んでいる。


吉阪 一郎  ( きちさか いちろう)

昭和四十年生まれ。幼少より故祖父 吉阪修一に稽古を受け、六十一年大倉流小鼓十六世宗家 大倉源次郎師に内弟子入門。平成三年独立。昭和五十年 独鼓「竹生島」にて初舞台。これまで「獅子」「乱」「鷺」「道成寺」「卒都婆小町」「鸚鵡小町」などの大曲を披く。ミラノ、ローマ、パレルモ、パリ、ロンドン、チューリッヒ、ボン、アメリカ西海岸、デトロイト、ヒューストン、など世界各国での能公演に参加。平成十八年フランス ポウ、パリ二都市でコンテンポラリーダンサー、ミエ・コカンポーとのコラボレーションなど幅広い分野で活躍する。京都の若手囃子方と「せぬひま」を結成。能、狂言の魅力を幅広い客層にアピールする活動を展開中。社中の会「若葉会」主宰。日本能楽会会員(重要無形文化財総合指定)、国立能楽堂研修課程講師


河村  大  ( かわむら まさる)

昭和二十二年 十二世 茂山千五郎の次男として生まれる。四歳の時 狂言「業平餅」の子方にて初舞台以来、「三番三」 「釣狐」 「花子」「狸腹鼓」 などを次々と披く。昭和五十一年に兄 正義(現 千五郎)、従兄弟 あきらと共に花形狂言会を発足。自分達の活動の拠点として古典は勿論のこと秘曲の復曲、新作狂言の上演等を積極的におこなう。また、名張子供狂言の会において指導するなど、指導者としても活躍している。日本の伝統芸能である狂言を海外に紹介する活動にも積極的に参加。海外公演は近年ほぼ毎年参加しており、その活動にはめざましいものがある。平成十二年一月にはパリの俳優術研究所(ARTA)に招かれ、ワークショップを行う。チェコ共和国において「七五三(なごみ)の会」発足。二十年に日仏交流150周年記念にてフランス銀行黄金の間において狂言公演、同年に世界遺産フランス「コンク」にて狂言会開催。現在、『お米とお豆腐』を立ち上げ、新たな試みに挑戦中。クセのない素直で堅実な演技に好感を持つ人は多い。「京都府文化奨励賞」(平成五年)。「京都府文化賞功労賞」(平成十九年年)。「名張市市政功労者特別表彰者」(平成二十三年)。「京都市文化功労者」受賞(平成二十三年)。


前川 光範  ( まえかわ みつのり)

今春流太鼓方
昭和四十七年五月生まれ。二十二世家元・故 金春惣右衛門、並びに祖父・光隆、父・光長に師事。六十年、囃子「鞍馬天狗」にて初舞台。以後「石橋」「乱」「道成寺」「鷺」などを披く。
平成二十五年度京都市芸術新人賞受賞。