伝統音楽の魅力を探る・レクチャーコンサート Vol.9

尺八楽はおもしろい

—尺八はこんなにも豊かで多彩だったのか—
2013(平成25)年11月15日(金)

現在使われている5孔の尺八は、普化尺八あるいは虚無僧尺八と呼ばれている。『徒然草』に「ぼろぼろ」と記された存在から、尺八を携えた薦僧を経て、禅的な意味を強めた虚無僧へと変転するには、風狂の禅僧一休と5孔の一節切尺八をもたらしたという異僧朗庵との交流が何らかの思想的影響を及ぼしたとも推測されている。18世紀に入ると一節切が急速に衰え、根竹の太く長い虚無僧尺八が用いられるようになった。音楽面から言えば、江戸時代になり、次第に半音を含んだ陰音階系の音楽が主流となってきたのに対し、短く細い一節切では充分対応できなかったこと。その点、虚無僧尺八は指遣いや顎を使って音の上げ下げ(メリ・カリ)が自由にでき、しかも音量もある。そして護身用にもなる。戦国動乱を経て多数の浪人が出た。その対策として幕府は自治組織的な虚無僧達の特権を半ば黙認したのである。虚無僧側は徳川家康が定めたという「慶長掟書」を根拠としたが、その存在は早くから疑問とされていた。通常、普化宗の起源は、宗祖である中国唐の時代の普化禅師が、街市を鐸(鈴)を振り鳴らしながら四句の偈「明頭来明頭打 暗頭来暗頭打 四方八面来旋風打 虚空来連架打」を唱え歩いた。普化の徳を慕う者により、その鐸音が尺八に移されて、代々伝えられてきた。それを鎌倉時代の留学僧覚心が宋で学び帰国したという。尺八吹奏を「吹禅」、尺八を法器とし、一般人の吹奏は禁じられた。明治4(1871)年に普化宗は廃止され、尺八は楽器として一般人にも開放された。尺八本来の曲を本曲(ほんきょく)と呼ぶが、それに対して箏や三絃と合奏する曲種を外曲(がいきょく)と呼ぶ。江戸時代より流派を形成していた琴古流では音楽芸術化路線をとり、外曲に比重が移されるようになった。都山流、上田流、竹保流などの新流派も登場し、さまざまな様式の近代曲が生まれた。しかし現代においては、近代化即ち欧米追従の姿勢が反省され、国際的交流が頻繁に行われるなかで音楽の考え方も大きく変わってきた。それぞれの民族の固有性が見直されるようになり、そのような流れにおいて、近代化される以前の虚無僧達が吹いていた本曲(新流派の本曲に対して「古典本曲」という)がいわば再発見された。虚無僧には無頼漢も多かったが、純真に道を志す者によって表された、専ら独奏主体で自由リズムの古典本曲には、深く自然と通い合う禅的な味わい、優れた技法と多彩な音色とが内蔵されていたのだ。近代の波乱に富んだ経験の積み重ねを経て、古典本曲が蘇り、現代の創造にインスピレーションを与え、かつエネルギー源ともなった。

山川直治(日本音楽研究家・元国立劇場主席芸能調査役)