伝統音楽の魅力を探る・レクチャーコンサート Vol.1
庶民に愛され続けた上方音楽・地歌の魅力

地歌はおもしろい

2006(平成18)年5月16日(火)


<ご挨拶>

 
 本日はご来場いただきありがとうございます。
 「京都和文華の会」は日本の伝統文化に様々な形でアプローチし、多くの方々にその良さを伝えていければと、伝統文化と京都が大好きな有志が集まり、昨年10月に発足した任意の団体です。
 その目的を達成するためには何からスタートするのが良いのか、試行錯誤を重ねた結果、日本文化を構成する大きな柱である伝統音楽を取り上げ、特に次代を担う方々にその楽しさを知っていただくことからスタートすることにいたしました。
 その第一歩として、昨年には国際日本文化研究センターの笠谷和比古先生の伝統芸術系のプロジェクトとタイアップして「伝統音楽を探る」と題したシンポジウムを権藤芳一先生、竹内道敬先生等、一休の先生方にご参加いただき開催することができました。そのシンポジウムは、多くの方から高い評価をいただいた意義深い催しとなりました。
 今回はその成果を踏まえて、実際に演奏を聞いていただきながら、伝統音楽の魅力を探るレクチャーコンサートを、笠谷先生の司会で、地歌奏者の菊原光治師とシンポジウム講師の久保田敏子センセしの全面的なご協力をいただき、三味線音楽の中で最初である地歌にスポットをあて、「地歌はおもしろい」と題して開催する運びとなりました。
 「分かりやすく、楽しく」を基本に置きながら、伝統音楽の伝承に少しでもお役にたてればと念願しております。未熟な団体ゆえ、至らぬところも多いと存じますが、今後とも皆様方のご指導をいただきながら一歩一歩、前へとすすんでまいりたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。
 おわりになりましたが、私たちの趣旨にご賛同いただき、ご助成をしていただきました真如苑様、ならびに多方面でお力添えをいただきました協力団体様に心からお礼を申し上げます。それでは間もなく開演です。どうぞ、最後までお楽しみください。
平成18年5月16日

京都和文華の会

【地歌はおもしろい! 解説と実演の概要】
2006.05.16 京都市立芸術大学 久保田敏子

(1)地歌って何?

・「地歌」は、三味線音楽の中で最初に生まれた芸術音楽。家庭や社交場の座敷で楽しまれた
 御当地ソング。
・「地唄」とも書くが、これはお江戸の習慣。上方では江戸時代から「歌」の字を使ってきた。
・三味線の誕生には「平家」を語る琵琶法師が最初に関わった。したがって、少し遅れて導入
 された箏曲と共に、「地歌」は平家琵琶を表芸とする「当道座」の盲人音楽家が占有する職
 業となる。
・しかし、享受したのは市井の人々→専有の弦楽器を持っていなかった庶民の楽器として、三
 味線は瞬く間に普及。
・芝居や語り物、舞踊の伴奏楽器としてそれぞれに応じた工夫を加えて愛用され、晴眼者の達
 人やプロも次々に誕生した。
・本来の「地歌」も、芸人、商人、文人墨客、社交場の芸妓に至るまで、現在のカラオケ感覚
 で楽しんだ。
 芸達者な素人の達人も輩出し、作詞作曲も行う。
・素人向きの手引き書や歌本、歌詞カードの合冊本の出版(主要例:松の葉=1703・
 若緑=1706・古今端哥大全=1711~36・吟曲古今大全=1716~36・琴線和歌の糸
 (糸の節系)=1715~1835・糸のしらべ=1751~1830・千代の友=1752~60・
 松の月=1782・よしの山=1784~1809・新歌袋=1789~1882・つるのこゑ
 =1796~1809・歌曲時習考=1805~80・浜の真砂=1805~53・
 千代の壽=1842・新うたのはやし=1870)。
・地歌は弾き歌いが原則なので、素人向きの楽譜付入門書も出版(主要例:糸竹初心集
 =1664・大怒佐=1685・律呂三十六声麓の塵=1733・音曲力草=1762・五線録=1793
 ・絃曲大榛沙=1828・三絃独稽古=1842など)。
・同じ当道座で始まった箏曲や胡弓と合奏、時には尺八とも合奏

(2)庶民の楽器・三味線の考察とその楽しみ方

<1三味線の誕生と改良>
・三味線の誕生は謎に包まれているが、1560年代に大坂堺に琉球の三線(さんしん)がもたらされ、それを手にした盲目の琵琶法師が、琵琶を参考に工夫改良したとするのが定説。
・三味線の普及とともに、それぞれの音曲の特性に応じた棹・胴・皮・駒・サワリ・糸・撥などを工夫改良。
 例:人形浄瑠璃のドラマ性を補強→太棹・歌舞伎舞踊の華麗さを補強→細棹など。
・初期の三味線は、彦根屏風や元禄期の遊里の絵に描かれているような、極細棹・薄い小型の撥の三味線。
 →現行の柳川三味線。
<2初期の三味線音楽「本手」>(後に「三味線組歌」という)
〈実演:菊原光治〉
・弾いてスクウのが一動作。「トロトロ、ツルツル。テレテレ・テレトン」
・歌詞は民間の流行歌を適宜繋いで、メロディに乗せて歌う。ツナギに産字を伸ばしたり、間投詞を挿入。
★「浮世組」第5歌(ニヤッとする暗喩)
 愛し若衆とノォ、小鼓は、締めつ緩めつノォ、調べつつ、音(寝)に入らぬ先に、成(鳴)るかならぬか
<3手法の発展>「本手」→「破手」(「本来の手を破る」→日常語の「ハデ」の語源)
★「下総」第5歌(ドキッとする揶揄)
 昔より今に渡り来る黒船、縁が尽くれば鱶(ふか)の餌となるサンタマリア。
<4色々な楽しみ> 合の手の挿入→手事への萌芽・異曲打合せ「乱後夜」+「晴嵐」・早弾き
★「早船」第9・10歌(早弾き・早口言葉)
 お少女(ちょぼ)少女様は、形(なり)は椋鳥の、声は鶯の、シュクシャカ、ムクシャカ、サンパカシンパカ、ンカラキウダラ・ズバイボ。眉目(みめ)の好(よ)ござれば、マタノンエイソレ、声、声もヤッコラサッサ、笑ひもしなやかに。

(3)展開:社交サロンでの楽しみ方

<5地歌は社交の潤滑油>
芸妓・法師・市井の粋人と共に楽しむ。素人の作詞・座敷舞の考案。
凝縮された美を愛でる。
★「ゆき」
〈歌と三弦:菊原光治〉〈胡弓:菊央雄司〉
流石庵羽積作詞・峰崎勾当作曲。天明期(1780年代)の作。男に捨てられて仏門に入った大坂南地の芸妓ソセキの実話に拠る詞章。雪のシンシンと降る夜、寝付かれない独り寝に聞こえてくる遠寺の鐘。
浮世を思い出して涙する心情を歌う。名前が読み込まれている(四角で囲った部分)。
燭台の陰に燃える女の情念を凝縮し、気を溜めて畳半畳で舞う地歌舞の「艶物」の代表曲でもある。
〈歌詞〉
花も雪も払えは清き袂かな、ほんに昔の昔の事よ、我が待つ人も我を待ちけん、鴛鴦の雄鳥に物思ひ羽の、凍る衾に鳴く音もさぞな、さなきだに、心も遠き夜半の鐘〔合の手〕
聞くも淋しき独り寝の、枕に響く霰の音も、もしやといつそ堰きかねて、落つる涙の氷柱より、辛き命は惜しからねども、恋しき人は罪深く、思はぬ事の哀しさに、捨てた憂き、捨てた浮世の山葛。

<6地歌はコラボレーションのはしり>
・芝居歌や長唄・浄瑠璃(半太夫節・繁太夫節・永閑節)の摂取→座敷歌化(青葉・黒髪・放下僧・寛闊一休・曾我物・道成寺物など)
・芝居の下座や、長唄・落語などに地歌の活用(ゆき・ぐち・万歳・越後獅子・晒など)
・役人接待の妙案「本行物」:下級武士でも嗜んでいた謡曲の摂取(八島・融・邯鄲・猩々・葵上など)
★「八島」「西行法師は嘆けとて月やは物を思はする~今日の修羅の敵は誰そ、何、能登守教経とや」
〈実演:菊原光治〉
途中で世話に砕けた歌詞が入る(地歌の特色)。謡曲の詞章部分の曲調に意識…謡曲部分はノル
<7地歌は流行に敏感> 角兵衛獅子(越後獅子)・百人一首カルタ(八重衣)など

(4)技巧の楽しみ(手事物の魅力)

<8技巧を楽しむ>
★「越後獅子」
〈本手:菊原光治〉〈替手:菊央雄司〉〈箏:菊萌文子〉
・掛詞や洒落、暗喩を楽しむ。
・手の技巧、三弦と箏のやり取りを楽しむ〔手事〕の妙技。
・「手事物」の分類の始まった『古今集成琴曲新歌袋』(1789)での分類は「端歌物」。
・『新増大成糸のしらべ』(1801)で「手事物」に。京風手事物に先行する初期手事物。
〈歌詞〉
越路潟、お国名物さまざまなれど、田舎訛りの片言混じり、白兎なる言の葉に、面白がらしそ(芥子・紫蘇)なこと、直江(猶良え)浦の海人の子が、七つか八つ目鰻まで、績むや網麻の綱手とは、恋の心も米(込め)山の、当帰(遠き)浮気で黄蓮(逢ふ恋)も、なに糸魚(厭い)川、糸魚(厭う)の、縺れ縺るる草占の、油漆と交はりて、末松(待つ)山の白布(知らぬ)の、縮みは肌のどこやらが、見え透く国の風流を、移し太鼓や笛の音も、弾いて歌ふや獅子の曲。向かひ小山の紫竹だけ、枝節揃へて切りを細かに十七が、室の小口に昼寝して、花の盛りを夢に見て候〔手事〕
夢の占方、越後の獅子は、牡丹は持たねど、富貴は己が姿に、咲かせ舞ひ納む、姿に咲かせ舞ひ納む。

(5)遊び心:糸回し・打合せ・作物

<9糸回し>
奏者が三味線の特定の一絃だけを受け持って、その絃で弾くべき音のみ演奏。
余興と腕磨きを兼ねた一種の曲弾。
★「万歳」
徳若に御万歳と、御代も栄えまします、愛嬌ありける新玉の年立ち返る朝より、水も若やぎ木の芽も咲き栄えけるは、誠にめでとう候ひける〔合〕〜

<10異曲打合せ>
奏者は聴きながら、取られずに弾く。聴者はステレオを楽しむ。
★「打盤」と「横槌」の打合せ
〈演奏:菊原光治+菊央雄司〉
京都の幾山検校(当道座廃止後は幾山栄福。1817/18〜90)が、同時に演奏して楽しめる「打合物」として、同じ長さに統一して作曲した手事物。作詞は漢学者の惺園篁鳳。いずれの歌詞も初句五字。その後は七五調に揃えているが、両者の韻は揃っていない。
昔は腕磨きを兼ねた遊び心を満喫させる演出として、よく行ったようだ。
他に「擂鉢」「連木」「切匙」の三曲打合せもある。
「打盤」〈前歌〉
北時雨、小原の里に聞き馴れし、梟の鳥の宵巧み、早や摺りおけと世話焼きし、
糊付物の忙しさも、今日の日和を楽しみに、重ひ身をさへ苦にせぬを〔手事〕〜
「横槌」〈前歌〉
横槌は、もしやとばかり合槌が、逢ひに来るかと棚の端、転けつまろびつ片手打ち、
力一杯色艶を、打ち出だしたる口説ごと、宵の砧は後朝に〔手事〕〜
<11座興も芸術>
「作物」(イソップ物語風・描写技巧の面白さ)
半即興の座興。作詞作曲者を明かさない。入れ手、盛り込み自由。
★「たぬき」物語を聴かせる・狂言風の語り出し・擬音の効果
〈歌詞〉
[前弾]「我はこの辺りに住む宮守にて候。毎夜毎夜この所へ古き狸が出で、神前を荒らすほどに、見つけ次第に討ち取らんと存ずる」。「おお、見つけたぞ、見つけたぞ」。鉄砲下ろし玉薬、火縄をつけて狙ひ寄る。狸たまらずばさばさばさと這ひ出でて。「ナウ、暫く待ち給へ、あの岩蔭の森の中、男狸が居り申す、夫婦の仲も、睦まじう互ひに変はるな、変はらじと言い交はした睦言に、身持ちになっても身も重く、それをお前に撃たれては、腹なる我が子は闇から闇、どうぞ助けて下され」と、手を合はしてぞ頼みける。宮守共に涙ぐみ、人間畜生と変はれども恩愛の嘆き変はらじと、鉄砲下げて立ち上がれば、狸大きに喜んで、「命助かる御礼に、我が妙得たる腹鼓、只今聞かせ申すべし」。腹撫で下ろし座を組んで〔手事〕
宮守ほとんど感じ入り、ちいちぽっぽの打ち分けは、真の鼓に優るべし、めでたしめでたしめでたしと、笑うてこそ帰りける。

<出演者>
(演奏)


菊原光治 Koji Kikuhara

五代目菊原地歌箏曲演奏家(野川流三絃・古生田流箏曲)
戦後の関西邦楽界の顔ともいうべき人間国宝・故菊原初子師に師事し、平成4年には五代目菊原を継承して、その後継者となる。現在の地歌箏曲界の牽引役ともいえる大きな存在であり、野田弥生・三好芫山の三人の邦楽勉強会「むしぼしの会」の活動も高く評価されている。

昭和41年 人間国宝菊原初子師の内弟子となり、地歌三絃・箏曲の修業に入る
昭和45年 菊寺の称号を受ける
昭和46年 大阪文化祭賞奨励賞受賞
昭和47年 野川流三絃組歌および古生田流組歌を全曲習得
昭和58年 初リサイタル開催 後、例年東京でリサイタル開催
平成4年 五代目菊原継承披露
平成5年 大阪文化祭賞受賞
平成9年 大阪舞台芸術祭賞奨励賞受賞
平成10年 文化庁芸術祭賞音楽部門優秀賞受賞
現在 琴友会会長、(社)当道音楽会理事、新しい会同人、むしぼしの会同人



菊央雄司 Yuji Kikuou 

昭和52年 大阪府豊中市生まれ
平成元年 人間国宝四代目故菊原初子の後継者五代目菊原光治師に入門
平成9年 菊央の称号を受ける
平成11年 龍谷大学経済学部卒業
(社)当道音楽会にて少勾当の職格を取得
菊津木昭師に上方系胡弓を師事
平成12年 長谷検校記念第6回全国邦楽コンクール最優秀賞・文化庁奨励賞を受賞
名古屋の今井勉師に平家琵琶を師事
平成14年 平成14年度文化庁新進芸術家国内研修員に認定
NHKの邦楽番組に多数出演
平成16年 平成15年度大阪舞台芸術新人賞受賞
平成17年 平成16年度咲くやこの花賞受賞
現在 菊原光治師のもとで内弟子として研鑽を積むとともに、NHK文化センターの講師を務める



菊萌文子 Ayako Kikuhou
(観世流シテ方)

昭和49年 和歌山の故菊明房枝師に箏・三絃の手ほどきを受ける
昭和61年 人間国宝 故菊原初子師に師事
平成元年 琴友会にて菊萌の称号披露
平成3年 大阪音楽大学音楽学部器楽学科箏専攻卒業
和歌山県新人演奏会出演
卒業後、菊原初子師の内弟子となり、以後8年間菊原初子師・菊原光治師のもとで修業
また、菊津木昭師に上方系胡弓を師事
平成11年 (社)当道音楽会にて大勾当の職格を取得
現在 琴友会会員、武庫川女子大学附属中学校・高等学校箏曲部講師

<解説>


久保田敏子 Satoko Kubota

京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センター教授
大阪船場生まれ。相愛女子大学音楽学部作曲科卒業、同研究科音楽学専攻科修了。
龍谷大学、奈良女子大学教授を経て、平成12年から新設された京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター教授に就任。(社)東洋音楽会副会長。
幼い頃より舞踊とピアノを習い、以後、箏曲・地歌・長唄・雅楽・義太夫の稽古を受ける。
研究分野:古譜研究、各種三味線譜・箏曲を中心とした伝承研究と楽曲研究。
主著:「日本芸能セミナー 箏・三味線音楽」「NHK古典芸能 箏曲・尺八鑑賞入門TVテキスト」「点描日本音楽の世界」「よくわかる箏曲地歌の基礎知識」など

<司会>


笠谷和比古 Kazuhiko Kasaya

国際日本文化研究センター教授
京都大学文学部史学科卒業、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
国立史料館(国文学研究資料館史料館)を経て、国立国際日本文化研究センター助教授、
平成6年に文学博士、平成8年から現職。
専門は日本近世史、武家社会論で、昭和63年には近世武家社会のありようを斬新な視点で解きほぐした著書『主君「押込」の構造』サントリー学芸賞を受賞する。
専門分野での著作、論文も数多いが、国際日本文化研究センター・伝統文化芸術総合プロジェクトを主宰、また平成13年には能、歌舞伎等の古典芸能を現代にマッチした形で復興させようと「関西楽劇フェスティバル協議会」を発足させ、その中心的な役割を担っている。