伝統音楽の魅力を探る・レクチャーコンサート Vol.2
金剛流、観世流の一級の出演者による謡曲の魅力の徹底解剖

謡曲はおもしろい

2007(平成19)年5月10日(木)


<ご挨拶>

 
 本日はご来場いただきありがとうございます。
 「京都和文華の会」は日本の伝統文化に様々な形でアプローチし、多くの方々にその良さを伝えていければと、伝統文化と京都が大好きな有志が集まり、2005年秋に発足いたしました。その最初の試みとして日本の文化を構成する大きな柱である伝統音楽を取り上げ、特に次代を担う方々にその良さを知っていただくプログラムを実施したいと考えておりましたが、主旨にご賛同いただいた真如苑の社会貢献事業として全面的なご支援をいただくこともでき、2005年には国際日本文化研究センターの笠谷和比古先生のプロジェクトとタイアップして、「伝統音楽を探る」と題したシンポジウムを権藤芳一先生をはじめ諸先生方にご参加いただき開催することができました。そのシンポジウムは、多くの方から高い評価をいただいた意業深い催しとなりました。
 その成果を踏まえて昨年5月に、地歌奏者の菊原光治師とシンポジヴムパネリストのお一人である久保田敏子先生の解説で、伝統音楽の魅力を探るレクチャーコンサート「地歌はおもしろい」をこのホールで開催いたしました。その結果は私どもが期待しておりました以上の反響をいただき、たいへん嬉しく感謝いたしております。
 今回は、前回の成功を受げて「謡曲」を取り上げました。日本の能楽界でご活躍の出演者の皆様と構成等を担当たまわりました権藤芳一先生のお力で、「分かりやすく、楽しい」伝統音楽の魅力を皆様方にお伝えすることができ、その伝承に少しでもお役にたてることができればと念願しております。まだまだ未熟な団体ですので、至らぬところも多いと存じます。今後とも皆様方のご指導をいただきながら一歩一歩、前へと進んでまいりたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
 おわりになりましたが、ご出演者をはじめ多方面でお力添えをいただきました関係各位に、また本日ご来場いただきました多くの方に心からお礼を申し上げます。それでは間もなく開演です。どうぞ、最後までお楽しみください。

京都和文華の会   代表 早川聞多

<プログラム>

謡曲について    お話し

流儀の違い     〜能謡と素謡〜

謡曲(うたい)の形  〜演奏を中心として〜

<解説>  

<謡曲について>  お話し 権藤芳一
 
(1)謡は面白い
   能楽と謡曲
○能の上演形態
 1 能(シテ・ワキ・アイ—面・装束 囃子—全曲)
   半能(後場のみ)
 2 袴能(面・裳束つけず)
 3 舞囃子(一曲の一部分・面装束つけず)
 4 仕舞(囃子なし 一曲一部を舞う)
 5 番囃子(面・装束つけず、所作なし)
 6 素謡(謡のみ全曲)
 7 一調・一管(謡の一部と囃子のみ)
○能の役籍・流派
 シテ方……観世・宝生・金春・金剛・喜多
 ワキ方……高安・福王・宝生(進藤)
 ハヤシ方…笛 ・一噌・森田・藤田(春日)
      小鼓・幸・幸清・大倉・観世
      大鼓・葛野・高安・石井・大倉・観世
 狂言方……大蔵・和泉(鷺)
—素謡の歴史—
  謡曲、謡、1、謳、詠(うたい)
 能謡—能と関連しながら歌う場合
 素謡—能から離れて単独に歌う
○室町中期(世阿弥伝書)
  (うたい)を独立して歌われていた
  座敷謡(内にての音曲)
 観阿弥 曲舞を能に摂取(大和猿楽)
   旋律美(メロディ)…小歌節
   拍子(リズム)…曲舞節
  曲舞—独立した謡い物
   祝言謡
   『四季祝言』(小謡集)17曲
○室町後期
  うたいの普及「番謡」の発生
   玄人—手猿楽(セミプロ)—公家、武家
○江戸時代
  謡講(庶民の楽しみ)
  『閑吟集』(流行歌謡集)
   大和節(大和猿楽の謡の一部)
 番謡(現在の素謡)—玄人の芸能
  ・座敷1大事也
  ・砧・蝉丸・大原御幸—座敷謡に作りたるもの
  ・紅葉狩—能ばかり、座敷謡にてはなく候
 謡本の刊行と能本
  (素人稽古人の増加—専門の師匠)
 舞台演劇としての能は式楽化
 うたいは庶民層に普及
—謡文化の普及—
  能と近世文芸—俳諧—芭蕉
  謡と近世音曲—浄瑠璃—義太夫
      古曲—豊後節系浄瑠璃
  便用謡
  替謡(やつし謡・わらべ謡)

(2)謡い方
○能謡と素謡との違い
○流派による違い
   ゴマ—音符自体の違い
 フシとコトバ
   コトバ
   フシ(ツヨ吟とヨワ吟)
    拍子(合・不合)
 平ノリ・中ノリ・大ノリ
    (二字一拍)(一字一拍)

<解説>  

<流儀の違い>  お話し 権藤芳一
 
○鼎談
   金剛永謹
   井上裕久
   権藤芳一

 演奏 放下僧
  金剛流  金剛永謹 
     (助吟)豊嶋晃嗣 
     (助吟)宇高竜成
  観世流  井上裕久
     (助吟)吉浪壽晃
     (助吟)浦部幸裕

<解説>  

<謡曲(うたい)の違い>  〜演奏を中心として〜
 
  金剛流  金剛永謹 
     (助吟)豊嶋晃嗣 
     (助吟)宇高竜成
  観世流  井上裕久
     (助吟)吉浪壽晃
     (助吟)浦部幸裕

  歌舞伎勧進帳〕
    市川右近(テープ)

金剛流  雪

 (詞章)
ワキ次第『末(すえ)の松(まつ)山(やま)はるばると。末の松山はるばると。行(ゆく)方(へ)やいづくなるらん
ワキ「これは諸國(しょこく)一見(けん)の僧にて候。われこの程(ほど)は奥州(おうしゅう)に候ひしが。又(また)思(おも)ひ立(た)ち津(つ)の國天王(くにてんのう)寺(じ)へ参(まゐ)らばやと思(おも)ひ候
ワキ(道行)『墨染(すみぞめ)の衣(ころも)ほすてふ日(ひ)も出(い)でて。衣ほすてふ日も出でて。そなたの雲(くも)も天(あま)ざかる鄙(ひな)に馴(な)れ行(ゆ)く旅(たび)の空(そら)。野(の)に臥(ふ)し山(やま)を分(わ)け過(す)ぎて。これぞ名(な)に負(お)ふ津(つ)の國(くに)や。野田(のだ)の渡(わた)りに着(つ)きにけり。野田の渡りに着きにけり
ワキ「急(いそ)ぎ候程(ほど)にこれははや。津(つ)の國(くに)野田(のだ)の里(さと)とかや申し候。
あら笑(せう)止(し)や。晴(は)れたる空俄(そらにわ)かに曇(くも)り雪(ゆき)降(ふ)り。東西(とうざい)を辨(わきま)へず候。暫(しばら)くこの所(ところ)にて雪(ゆき)を晴(は)らさばやと思(おも)ひ候
シテ『あら面白(おもしろ)の。雪(ゆき)の中(なか)やな。あら面白の雪の中やな。曉梁王の(  あかつきりやうわう  )園(その)に入(い)れば。雪群山(ゆきぐんさん)に満(み)てり。夜庚公(よるゆうこう)がA(ろう)に登(のぼ)れば。月千(つきせん)里(り)に明(あき)らかなり。われも眞如(しんにょ)の月(つき)出(い)でて。妄執(まうしふ)の雪(ゆき)消(き)えなん法(のり)の。慧(え)日(にち)の光(ひかり)を頼(たの)むなり
ワキ『不思議(ふしぎ)やなこれなる雪(ゆき)の中(なか)よりも。女性一人現(によしやういちにんあらは)れ給(たも)ふは。如何(いか)なる人にてましますぞ
シテ『誰(たれ)とはいかで白雪(しらゆき)の。唯(たゝ)おのづから現(あらは)れたり
ワキ『われとは知(し)らぬ白雪(しらゆき)とは。さてはおことは雪(ゆき)の精(せい)か
シテ「いやさればこそわが姿(すがた)、『知(し)らぬ迷(まよ)ひを晴(は)らし給(たま)ヘ
ワキ『さては不思議(ふしぎ)や雪(ゆき)の女(をんな)に。言(こと)葉(ば)を交(か)はすもただこれ法(のり)の。功(く)力(りき)を疑(うたが)ひ給(たま)はずして.とくとく成道(じゃうだう)なり給(たま)ヘ
シテ『あらありがたの御事(おんこと)や。妙(たへ)なる一乗妙典(じょうめうでん)を。疑(うたご)ふ心(こゝろ)はあらかねの
地『土(つち)に落(お)ち身(み)は消(き)えて。古事(ふること)のみを思(おも)ひ草佛(ぐさほとけ)の縁(えん)を結(むす)べかし。われとはいさや白雪(しらゆき)の。積(つも)る思(おも)ひはいやましに有明寒(ありやけさむ)み夜半(よわ)の月(つき)
シテ『峯(みね)の雪汀(ゆきみぎは)の氷(こほり)踏(ふ)み分(わ)けて
地『君(きみ)にぞ迷(まよ)ふ。道(みち)は迷(まよ)はじな津(つ)の國(くに)の。野田(のだ)の川波高(かはなみたか)瀬漕(せこ)ぐ袖(そで)のしがらみひぢまさり。岩(いは)にせかるる沖(おき)つ舟(ふね)。やる方(かた)もなきわが心(こゝろ)。浮(う)かめ給(たま)へや御僧(おんそう)と。月(つき)にひるがへす花衣(はなごろも)げに廻雪(くわいせつ)の袖(そで)ならん
シテ『朝(あさ)ぼらけ
〔序舞〕
シテ『朝ぼらけ。野田(のだ)の川霧(かはぎり)。絶(た)え絶(た)えに
地『あらはれ渡(わた)る
シテ『姿(すがた)もさすが白(しら)々の
地『姿もさすが白々の。峯(みね)の横雲(よこぐも)
シテ『立(た)ちのぼる東雲(しののめ)も
地『明(あ)けなば恥(はづ)かし暇申(いとままう)して歸(かへ)る山(やま)路(ぢ)の梢(こずゑ)にかかるや雪(ゆき)の花(はな)。梢にかかる雪の花は又(また)消(き)え消(き)えとぞなりにける
(『謡曲大観』による)

観世流

・便用謡

    躾の端
    七十二候
    王代記
    駅路
    服忌令
    画図
    日蓮御書
    選択集
    竹弄
    秋津国
    九重
    順礼
    源氏の題
    十四経
    一向三国伝来

〔詩章〕九重


サシ和今洛陽の名目を。世俗に呼(ヨブ)は樵(コリ)木(キ)町(マチ)。川原椹木(サハラギ)新ンからすま。是より略(リヤク)の狂Bとす。上寺御(ゴ)幸(カウ)麩屋富柳堺高。間(アイ)の東に車烏丸(カラスマ)。又一ツ首には両が室(ムロ)衣新釜西小(コ)川(C )。油醒(サメガ)井。堀の岩神(C ) 曲下猪黒大(C )松日暮(C )ンに智恵光院。浄福千本。右近かねがへ。扨横小路は鞍社寺上立(C )に五辻や。須磨今出川本誓(モトセイ)に。武者とつらねて一中(イチナカ)や。三筋の長者出(デ)水下(ミツシモ)。魚丸竹屋夷(エビ)二条押(ヲシ) 上御(オ)池(イケ)姉三六角に蛸錦。四綾仏光高辻に松。樋口五条楊梅(ヤマモゝ)。六条佐女(サメ)牛(ウジ)や七の坊。北七条に塩とかや。八の坊梅八条に。針信濃から橋。九条是そ九重

・乱曲扇拍子(やつし謡)


    酒三輪
    日待頼政
    悪性盛久
    踊鵜飼
    茶屋小町
    大食景清
    薬葵上
    酒三井寺
    乞食山姥
    大尽安宅
    鼡景清
    3見世百万
    酒よりまさ
    相撲花月
    羞自然居士
    2鉢木
    酒はちの木
    野郎供養

・乱曲組盃(やつし謡)


    野郎高砂
    才覚兼平
    夜抜半蔀
    勒角田川
    酒白楽天
    芝居芦苅
    貧乏船橋
    傾国とほる
    酒蟻通
    博奕雲林院
    透腹三井寺
    酒藤戸
    乞食雲林院
    杉焼白楽天
    貧僧俊寛
    蕎麦切道成寺
    酒鉄輪
    田楽とほる

・乱曲颯々颯箱(やつし謡)


    くるハ高砂
    大食やしま
    ねこ田むら
    餅長良
    大酒忠則
    くるハ放下僧
    盗人鉄輪
    将◆三井寺
    くらや花月
    てんかく女郎花
    うば浮ふね
    色里融
    酒もり海人
    豆腐藤戸
    たいこ実盛
    そうか通小町
    灸白楽天
    傾城うとふ
    悪性たつ田
    ばくち東岸こじ
    勘当蝉丸
    新地芦かり
    山衆阿こき
    わか衆蟻通
    乱酒八嶋

「安宅」勧進帳   〜能と歌舞伎〜

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 演奏
  歌舞伎
  能 観世流
  能 金剛流

〔詩章〕
シテ・そ(サ)れつらつら 惟(オモン)みれば 大(ダイ)恩(オン)教主(キョオシュ)の秋の月は 涅(ネ)槃(ハン)の雲に隠れ 生(シヨ)死(オジ)長(ジョ)夜(オヤ)の長き夢 驚かすべき人もなし
ここに中頃(ナカゴロ) 帝(ミカド)おはします おん名をば 聖武(ショオム)皇帝(コオテイ)と 名づけ奉り 最(サイ)愛(アイ)の夫(フ)人(ジン)に別れ 恋(レン)慕(ボ)止(ヤ)みがたく 涕泣眼(テイキュウマナコ)にあらく 涙(ナミダ)玉を貫(ツラヌ)く 思ひを善(ゼン)途(ト)に翻(ヒルガエ)して 廬(ル)遮(シャ)那(ナ)仏(ブツ)を(ト)建立(コンリュウ)す かほどの霊場(レイジョオ)の 絶(タ)えなんことを悲しみて 俊乗坊重源(シュンジョオボオチョオゲン) 諸国(ショコク)を勧進(カンジン)す 一(イツ)紙(シ)半銭(ハンセン)の 宝財(ホオサイ)の輩(トモカラ)は この世にては 無比(ムヒ)の楽(ラク)に誇(ホコ)り 当来(トオライ)にては 数(ス)千蓮(センレン)花(ゲ)の上(ウエ)に座(ザ)せん 帰命稽首(キミョオケッシュ) 敬(ウヤマ)って白(モオ)すと 天も響けと読み(巻物を高々と捧げる)上げたり

(『謡曲大観』による)

祝言「高砂」

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 演奏
  観世流・金剛流

〔詩章〕
地上歌『四(し)海波静(かいなみしづ)かにて。國(くに)も治(をさ)まる時(とき)つ風(かぜ)。枝(えだ)を鳴(な)らさぬ御代(みよ)なれや。逢(あ)ひに相生(あひおひ)の。松(まつ)こそめでたかりけれ。げにや仰(あお)ぎても。ことも愚(おろ)かやかかる世(よ)に。住(す)める民(たみ)とて豊(ゆた)かなる。君(きみ)の恵(めぐ)みぞ。ありがたき君の恵みぞありがたき
(『謡曲大観』による)

<出演者>


金剛永謹(こんごうひさのり)
(金剛流シテ方二十六世宗家)

昭和26年京都生まれ。二十五世宗家金剛巌の長男。父に師事。昭和31年仕舞「猩々」で初舞台、昭和33年「猩々」で初シテ。平成10年金剛流宗家を継承、財団法人金剛能楽堂財団理事長、社団法人日本能楽会常務理事、金剛会名誉会長。昭和59年「京都市芸術新人賞」昭和61年「京都府文化賞新人賞」を受賞。著書に『金剛家の面』がある。




豊嶋晃嗣(てしまこうじ)
(金剛流シテ方)

昭和48年生。5歳のとき初舞台、以来「石橋」・「乱」・「望月」と開曲。金剛流次世代のホープとして東京・京都・広島・福岡を中心に各地で活動。北九州市民文化奨励賞。金剛会理事。慶應義塾大学卒。




宇高竜成(うだかたつしげ)
(金剛流シテ方)

昭和56年生まれ先代及び当代金剛宗家、父・通成に師事。3歳の時初舞台。平成5年に「狸々」で初シテ。平成10年京都能楽養成会に入会。能楽師の活動をしながら、平成16年立命館大学卒業。同年9月、「石橋」を披く。京都を中心に活動している。




井上裕久(いのうえひろひさ)
(観世流シテ方)

昭和30年7月26日生 京都在住
二十五世観世宗家故観世左近、二十六世宗家観世清和及び父九世井上嘉介に師事。
翁・道成寺・石橋・乱・安宅・正尊・望月・砧を開曲。国指定重要無形文化財「能楽」認定者。社団法人日本能楽会会員。社団法人能楽協会京都支部常議員。社団法人京都観世会理事。京都能楽会理事




吉浪壽晃(よしなみとしあき)
(観世流シテ方)

昭和40年生まれ。故吉浪準一の長男。井上嘉介、井上裕久に師事。東京藝術大学卒。同大学にて故25世観世宗家観世左近、藤波重満に師事。道成寺・石橋・猩々乱、千歳を披く。(社)能楽協会京都支部常議員。




浦部幸裕(うらべゆきひろ)
(観世流シテ方)

昭和42年生まれ。浦部好弘の長男。井上嘉介、井上裕久に師事。東京芸術大学卒業。同大学にて26世観世宗家観世清和、藤波重満に師事。道成寺、石橋、猩々乱、千歳を披く。京都能楽協会所属。


<解説>


権藤芳一(ごんどうよしかず)
(演劇評論家)

主著
「近代歌舞伎劇評歌論」「世阿弥を歩く」「能に生きる歴史群像」「能楽手帖」「文楽の世界」「上方歌舞伎の風景」等
昭和9年京都市生まれ、同志社大学文学部卒業、在学中より武智鉄二氏に師事し、雑誌「演劇評論」の編集や同氏が演出した前衛・実験劇の演出助手等を務めたのち、昭和33年より京都観世会館で事務局長として30年間勤務。
平成元年より大阪学院大学国際学部で古典芸能を論ずる(平成13年定年退職)。現在フリー。演劇評論等に幅広く活躍している。
文化庁、京都府、京都市の各文化財保護審査委員を務める。
日本演劇学会、芸能史研究会、楽劇学会、歌舞伎学会、能楽学会に所属。